双極性障害ついでにガンって言われたわたし

〜双極性障害と共にゆるく生きるわたしの記録〜

病気を丸投げ

鬱状態より少し回復したわたしは、また新たな穴にはまってしまった。

 

1人で外出すると背中がビリビリ焼けるように痛いし、

また、あの辛い鬱になるんじゃないか?いや待て躁になってしまうのではないか?

 

あ〜どうすればいい?お外に出るのやっぱり恐いな。

 

自分の病気に怯えて、常に自分の病気を見張って今は鬱かな?躁かな?パトロールしていた。

 

病気をパトロールする事は、

常にわたしは病気だと思い続ける事でもあり、自らをがんじがらめにし結局何もできなくなっていた。

 

 

そこで、

わたしは1人では何も出来ないのだから他人を頼ってみようと思い。

 

鬱病経験のある病気のことを何でも相談できる友達に、

 

「わたしが、鬱になってたり、躁になってたら教えて!」

と丸投げしてみた。

 

 

実際の所、完全に丸投げしたのではないが、

この頃家族との関係が良くなかったし、身内に言われると嫌な事でも友達なら、

自分が指摘された時耳を傾けられるのではないかと思い。

セーフティーネットを作るつもりで頼んでみた。

 

事情を含め友達は了承してくれて、気が楽になったことを今でも覚えている。

 

 

そして、

この頃よく母に

「出来ない自分を攻めたり、出来なくなった事をいくら嘆いても仕方ない。あなたが何も1人で出来ない事は最初から知っている。」と何度も言われたことが前に進むきっかけだったのだと思う。

 

あの時は、母親に出来ないと言われる事がただただ悲しくて仕方がなかったが、

この言葉の本質は、

「何も出来なくても愛してる!」という事だと今なら理解できる。

 

 

まとめ

 

病気になり1人で出来なくなったことは罪ではなく。

1人で出来なくても、生きやすく生きていく為に

「助けてもらう事を決める」

為のステップだったのだと思う。1人では出来なくても、誰かと一緒に外出や料理が出来ればいい。

 

堂々と助けてもらって生きる事にした。それを恥ずかしく思う事もやめた。←ここは出来る時と出来ないときがあるからこれからも意識していきたい。